うらあきば.じぇいぴ~ > 三次元 > ニュース
なぜ今、“お爺ちゃん”が寝取るのか?
そこには、性の主導権が想定外の相手に奪われる“敗北感”、かつては見下していた存在に支配される“屈辱”、そしてそれを経てなお心地よい“快感”と“安堵”の構造がある。この構図に惹かれるのは、決して稀な嗜好ではない。むしろ、「若さ」や「男らしさ」といった社会的優位性に執着する現代男性にとって、それを覆す構造はある種の“精神的開放”とも言える。
高齢者という弱者的存在に性的な主導権を奪われることで、抑え込んできた劣等感や敗北感を安全に昇華できる。「寝取られ」は本質的に、自我の崩壊と他者への服従を通して、自らの存在を再構築する行為だ。“お爺ちゃん”という存在が加わることで、その構造がさらに強化される。支配されたのがイケメンやエリートではなく、“老いた肉体”であるという事実は、見る者の中に複雑な興奮と悔しさを呼び起こし、やがて快楽へと変わる。
GLORY QUESTの「禁断介護 吉澤友貴」は、シリーズ名からしてすでに背徳的な香りが漂うお爺ちゃんNTR作品。吉澤友貴が主演の本作はまさにその極地に位置する。舞台はとある高齢者宅。若妻として介護に入ったヒロインが、徐々に老人の巧妙な性技と執念に絡め取られていく。吉澤の演技が素晴らしいのは、恐怖と快感の揺れ幅を巧みに演じ分けている点だ。見る者は「そんなはずはない」と思いつつも、“お爺ちゃん”の技術と欲望に屈していく彼女の姿に、強烈なカタルシスを感じることになる。
S1 NO.1 STYLEの「既婚の訪問ヘルパーは助平じじいに騙され全身しゃぶり寝取られる… 奥田咲」は、“お爺ちゃん”の性悪さとしたたかさが際立つ本作。訪問ヘルパーとして登場する奥田咲は、最初は毅然とした態度を取っている。しかし、老人の飄々としたキャラと、時に見せる哀れみを誘う態度により、次第に防御を解かれていく様子が丁寧に描かれる。完全な力技ではなく、心理的な揺さぶりと情の隙間からの侵入。視聴者は「騙されている」とわかっていながら、その支配と寝取られの過程に引き込まれ、自身の中にもある“騙されたい願望”に気づかされる。
GLORY QUESTの「映画撮影で寝取られてしまった最愛の妻。 美咲かんな」は、“寝取られ構図の強化版”とも言える一作。妻を信じて映画の現場に送り出した夫。だがそこで彼女は、“監督”という名の老齢男性に口説かれ、次第に支配されていく。美咲かんなは最初こそ戸惑いを見せるが、徐々に喜びと快感を隠し切れなくなり、ついには自ら求めてしまう。観る者は、「ああ、自分ではない男に抱かれている」という現実を突きつけられる。そしてその相手が“お爺ちゃん”であることに、より強い敗北感と性的高揚を覚えるのだ。
卍GROUPの「妖・介護 義父の肉棒で淫らに妖しく女体を揺らす倅の嫁 五日市芽依」で、五日市芽依が演じるのは介護のために義父の家に通う気丈な嫁。義父の存在は最初、頼りない老体にしか見えなかった。しかし、次第に滲み出る男の欲望と圧倒的な“経験”により、彼女の肉体は抗えぬ快楽の渦に呑まれていく。義父と嫁という家族関係のなかに、肉体と欲望のルールを持ち込む演出は極めて倒錯的。終盤、彼女が完全に“義父のモノ”になったとき、見る者はその敗北に共鳴しつつも、なぜか温かな安堵感に包まれる。
GLORY QUESTの「禁断介護 ローレン花恋」で、ローレン花恋が見せるのは、洋風な美貌と対照的な素朴さの同居。その美貌が“和室”と“老人”という要素と組み合わさることで、異様なコントラストが生まれる。老人は寡黙だが、その眼差しには強い支配欲があり、彼女は次第にそれを恐れつつも喜び始める。彼女の口から漏れる喘ぎは、ただの快感ではなく、“心の奥底で自ら望んでいた敗北”の告白のようにも聞こえる。視聴後、観る者は“老い”という存在に抱かれる意味を、静かに受け入れている自分に気づく。
お爺ちゃんNTR作品が提供するのは、自らの優越性や自尊心をいったん脱ぎ捨て、むしろ“無力であること”に安らぎを見出す行為といえる。本記事を読み終えたあなたは、きっとこう思うだろう。「こんな快楽も、ありなのかもしれない」と。そしてそのとき、あなたの中に潜んでいた、見たくないが確かに存在する“もうひとつの性癖”が、そっと微笑んでいるはずだ。
キーワード: NTR
2025年05月08日 23時58分